立ち止まって考えるよりも、歩きながら考える

というわけで(ry-5/20に関してそうとう亀レスながらポツポツ書きます。遅くなりまして、すいません。ごめんなさい。えーと忘れていたわけではないのですよ、なにがいい答えなんだろうかそもそも自分はどう考えるべきかよくわからず答えられなかったのです。結局、きっとmbrさんと俺はそんなに違う心境で暮らしているんじゃないんじゃないかなと思ったり。(いや、違うと言われたらそれまでですが。)でもやっぱり違うところは違う、そこをはっきりさせたいなと。

まず、

完全に思い込みなり楽観なりにとり憑かれていれば別ですが、
そうでないなら、決断の前に十分な調査をし知識を得て、
「いろいろ考えた/自分を問いただしたが、それでも『〜したい』」と
覚悟を決める…のは、そんなにおかしなことでしょうか…?

これはちっともおかしくありません。僕が問いたいのはそこではないです。僕が覚悟など必要かと少々挑発的な事を書いたせいだと思いますが、そこではなくて。
また例え話から。将棋の棋士はぱっと盤面を見てもう直感的に次の一手に何を指すべきかわかるんだそうです。じゃあ何をあんなに長い時間考えているんだといえば、その一手が本当に良い手なのかどうか論理的に検討しているのだそうです。でも、きっと完全には答えはでません。当たり前ですが答えが出たらそれは終局まで読みきったということですから。でも、結局棋士は覚悟を決めて指すんですね。当たり前ですが指さないと局面は進みませんし勝てません。mbrさんは覚悟の重要性をとき覚悟はその前の論理的思考から生まれると言う、それは決して間違ってません。しかし棋士に何故あなたはその手を打ったのですか?と聞いたときに棋士はこまるのではないでしょうか?特に負けた棋士にそう聞いたら相手は怒ってしまうかもしれない。それは結果として考えれば良い悪いは言えますが、その時に最後に直感を信じた自分はどうしようもないことだからです。人生も同じく全探索はもちろん不可能で将来は不可視の状況からいかにして選び取るか、それは論理では導かれないと思います。むしろ積極的に直感を支持したい。特にドクター進学などと言う一寸先は闇の世界に突っ込むときに、その闇をあれこれにらんで立ち止まってしまうよりは、飛び込む人を積極的に支持したい気分があるのです。(このブログをみている人工知能関係者はこの問題がフレーム問題を述べていることにお気づきでしょう。)特にドクター進学はデメリットはお金が無いなど明示的であるのに対して、メリットはものすごく非明示的。積極的に「〜したい」という気持ちを持ち上げてやるのは僕は悪いこととは思いません。

もし、友達が「もう嫌だ。死にたい。死んで楽になりたい」と本気で言ってきたら?

という例に関しては、確かに僕は説得します。しかし、友達の「もう嫌だ。死にたい。死んで楽になりたい」という本気の気持ちは決してわかってあげることは出来ません。それゆえきっと論理的に諭したところで効果は薄いものと思います。(これも人工知能失敗の一つで、ロボットは相手の気持ちをどうやっても察することができない、というやつですね。)だから説得と言うか、ただただ止めるでしょう、理屈抜きで。

あと期待値の話がでましたが、「家を買う時」というのは確かに人生で一回程度しかないと思いますが、この家を買うかどうか?を考えるのはあきらかに交換可能性が前提になっている。すなわちこの家が駄目なら別の家でもいいや、みたいな。もっと切実な一回性の出来事、たとえば「どういう人生を生きるべきか?」という問いに対しては期待値が決定的な手段だとはあんまり思えません。もしくは「この人と恋愛できるか?」という問でもいいですが*1

こんなところです、ふー。こっぱずかしいのでよりディープな話をするにはお酒が必要です、先生(w

*1:収入身長その他をパラメタ表示して評価関数に代入し、友人親族の評価も加えてt検定を行って有意に恋愛対象としてふさわしいかどうか検討して決めるというなら、何もいいませんとも。そういうひとは増えているみたいですし。