いい区切りの日だし

後から思い返すことのある日であろうから少し文章を書いてみる。
これからは世界がcompetitorだ。生物時計を取り巻く状況はめまぐるしく変わるだろう。さっさといろいろ仕事をしなければ生物物理屋とかにあっさり取られるかもしれないとか思うところはあるのだが、そういう事はおいておいて、今回の仕事で、生きるということを考える上で世界観が少し変わるであろうと思う。
生きているということはどういうことか?と問うた時にセントラルドグマを持ち出すのは現代の生物学の常識である。ただ、生きているということの側面としてはいろいろなものがある。ご飯を食べ、呼吸をして、好きな人と、好きなところに行き、好きなことをして、寝る。ということが遺伝子レベルから説明するのは簡単なことではないということも事実である。なんとか遺伝子を取ってきたからといって今や興奮する人はかつてほどいない。
ただ、生物時計だけは違った。あるタンパク質のリン酸化反応である事がわかった。少なくともシアノバクテリアに関してはそうだ。ある化学反応がシアノバクテリア全体の遺伝子の活性を制御していることは間違いない。
と、いうことを考えると我々はどこまで化学反応なのだろうか。生きていることに付随する全てのことは化学反応で説明可能なのだろうか。利根川進は脳の全ての機能は化学反応で説明可能と言っているが、まさにこの路線である。ただ、それならばBZ反応などの全ての化学反応が生きているということと非分離であるという考えも一方で成り立つ。僕らはBZ反応と何が違うのか、違いを見つけるためにはまず同じところを探す必要があるだろう。数学や化学や生物や物理や情報の言葉をありったけ使ってなおも曰く言いがたい何かをいつかつきとめたい、と思う。